人々がSNSをうまく乗りこなせないのは歴史を見れば自明である


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「玄関にこれでもかと貼り散りばめた紙」の写真

 

先週末、センセーショナルなニュースが飛び込んできた。

大変ショックである。

まだ事実関係はわかっていないので、その件とは切り離して考える。

昨今、SNSについて話題になっている。

そのことについて

心が動いたので書きたいと思う。

 

まずSNSの歴史自体が浅い。

まだ10~20年程度である。

ただ、人類の歴史を振り返れば

 

・十字架刑。

魔女裁判

・吊るし上げ。

・さらし者。

・集団リンチ。

 

人々は昔からそういったことが大変お好きなようである。

ワイドショー、週刊誌が売れるのは

人々が深層心理で求めていることだからかもしれない。

 吊るし上げることが正義だとさえ思っている者もいる。

 

だから、SNSという形に変えて

元来、人々がやってきたことを繰り返しているだけ。

取るに足らない、感情の掃きだめの、ストレス発散の負の感情が

表に現れてきた、ということである。

 

表で言えないなら裏で言え

ということである。

実に陰湿。

ネットいきり、ネットリンチ

面と向かっては決して言えない人間である。

そういったところでしか発散できないのだろうか。

有名人ということを理由に難癖、必死に揚げ足取りで叩く。

成功者が発見されれば足を引っ張る。

こんなに書いてみたけど、

実際はやらないが

羨ましいとか、ずるいとか。

ふと、そのように思い浮かんだことはないだろうか。

...恥ずかしながら私も、思い当たるところがある。

 

そう、そういったところも含めて

人間なのである。

人をきれいなものと思うこと自体

幻想である。

事実、地球のあらゆるものを犠牲にした上に

人類が存在していることを理解していなければならない。

 

歴史から見ても

人は自分勝手、自己欺瞞、自己満足な存在であることに気づかされる。

一部の人にとって都合のいい、偏ったルールを強いてきた歴史もある。

未だにそうかもしれない。

だからこそ、繁栄できた側面もある。

 

SNSに話を戻すと

たった自分一人の、何気ないつぶやきだったとしても、

受け取る側は

何百、何千と書き込まれるのだから、疲弊してしまう。

また、関係ない人が便乗してきて、自分の思いの届かぬところで

勝手に解釈したり、言ってないことを言ったことにされたりしている。

受け取る側は、そういった匿名の見えない集団に、恐怖を覚えることだろう。

 

人はこのように、身勝手で

相手が弱かろうが強かろうが

吊るし上げるのが好き。

有名人ならば、正義ならば

(正義という定義も曖昧である。)

サンドバックにしてもよい。

という心理だという前提で

決まり事などをつくっていく必要が出てきていると思う。

一人一人の道徳観云々でどうにかなる問題ではない気がする。

 

歴史上、人々は人間がコントロールできないものを開発してきた。

核兵器とか、原発とか。

開発途上のAIも、人の考えの及ばないレベルに到達するかもしれない。

人が、コントロールできないのである。

SNSはマーケティングのみならず、選挙結果等・政治、社会秩序も左右しかねない

世界をも揺るがすことができてしまうツールである。

しかも、誰もが触ることのできるツールである。

正しく使わなければ、危険なものになってしまう。

SNSのコントロールも、人々がまだ追いついていないのかもしれない。

表現の自由・公共性・言論統制との折り合いもある。

ただ、SNSの集団リンチ的なものは本当に醜いものである。

今現在、SNSは長い長い歴史の中でみると、過渡期にあるのかもしれない。