そもそも悩みどころを間違えている問題


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「虚像の夏(フォトモンタージュ)」の写真

 

悩みどころが解決したとしても

悩みに至る原因の価値観が変わらなければ

また同じような悩みに直面するということ。

 

悩みを自ら生み出しているといった方が正しい。

悩みは願望、欲望の裏返し。

うまくいくようにしたいとか

願いを叶えたいとか。

自分の望みどおりになることが幸せになるという価値観。

 

こういった、夢を叶えたいマンの、欲望にきりはない。

叶ったらもっと、その上の夢を叶えなければ満足できない。

それは資本主義経済の考え方にとっては都合が良い。

購買意欲を煽られて、それに乗っかってお金を垂れ流す人々だからだ。

 

ただし、これではいつまで経っても充足感を得ることはできない。

不足感にあふれている。

事実、年はとるものだし、皆が裕福になれるわけでもなし、

才能にあふれているわけではなし、好かれているわけでもない。

それをさも現代技術で解決できるかのような商法で購買意欲を煽っているところもあるし、本気で解決できるのではないかと考えている人もいる。

 

しかしこれは、現実を直視できない人をひっかけるトラップである。

事実、現実は変えられない。

自身を磨き、鍛え上げれば必ず解決できる、というものでもない。

力の注ぎどころを間違えているわけだ。

 

つまるところ、本人が現実を受け入れて、自分の妥当な能力値を認め、

その中で満足する術を持たなければ、一生、幸福感は得られない。

苦労していた方が、些細なことでも幸せに感じられるといったところはあるかもしれない。

 

かつて井上陽水のインタビューで聞いたことがある。

「喉が渇いたときに飲む一杯目のビールが最高に幸せ。」

正確ではないかもしれないがこのようなニュアンスだったと思う。

その前の発言

「一曲書いたら一年暮らせる」

というような事実がある人がそう言うのである。

だから余計に説得力がある。

井上陽水が言う幸福感はそういったものらしい。

 

現在進行形に満足感を得られることが最高に幸せなことではないかと思う。

人はいずれ必ず死ぬし、いつ死ぬかもわからないし、

志し半ばでとか、後悔ばかりとかいう形で、できれば終わりたくない。

これも願望といえばそうであるが

もう満足した、というかたちで終えたい。

 

結局、なるようにしかならんのだ。

入試に失敗する、就職がうまくいかない、結婚できない、顔が良くない、自分の性格が悪い、病気である、障害がある、能力がない。

悩んだとて、幸せにはならない。

暴言にも聞こえるが、でもそんな身の上でも、幸せを感じることはできる。

自身の価値観を変えればいいのだから。

他人がとやかく評価する問題でもない。

自身が幸せだったらそれでいい。

人間関係の悩み、将来の不安、他人からの評価。

この思い悩むこと自体、幻想である。

思い悩むこと自体、幸せに感じることはできないし、時間の無駄である。

 

おいしいとか、気持ちいいとか、しあわせとか、おもしろいとか、高揚感とか。

単純でちょっとしたことを味わっていくことが

自分にとっての幸せである。

幸せは、妄想であってもよい。

事実、人々の感じ方は主観であって、妄想、幻想によってでできているのだから。

また中二病くさくなってきたので、この辺にしておきます。